さて、今年もぼっちお盆が決定したわたし。
お盆のど真ん中に生まれた三女も誕生日だっていうのに東京のイベントに行ってくる!
と泊りがけでお出かけ。
まぁ、わたしもお仕事だからお盆って言ったって2連休程度で普段とたいして変わらないんだけど。
お盆って、世間が浮かれポンチになるイベント事の時の『おひとりさま感』とはまた違う感慨に毎年ふけったりするわたし。
やっぱり日本人だわ。
実家とも疎遠がちなバツイチ子ありのわたしがお盆に改めて思う事...
自分が死んだときの始末の事をかなりな屁理屈くっつけて考えてみた笑
もし、お盆やることないわー...おひとりさま退屈だわー...
出掛けようにも暑いし混んでて嫌だわー...なんて人がいたら
暇に任せて、お盆ならではの妄想にふけってみるのも時間つぶしになる??かもです^^
おひとりさまのお盆に思考があらぬ方向に進んでいく...
そもそも、バツイチとは言え子ありの者を『おひとりさま』と言っていいのかっ?
本来のおひとりさまの定義の事についても書いてる
ゴールデンウィーク一人で何する?過ごし方でとことん楽しむ方法!
様々ご意見ありそうですが、子ありとはいえ全て女の子。
私自身の勝手な考えではありますが、母のことなど気にせずに自分が行きたい所で生きたいように生きなさい。と思っている。
という事で。『おひとりさま』名乗って良いですか?
仕事柄、様々な逝き方を目にしているわたし。
そして、葬儀って何のためにするんだろ? とつくづく疑問に思う。
こんなこと言ってるの、もし知られたら関係者各位から潰しにかかられそうだけどひっそりブログだから大丈夫よね。
葬儀の意味って全然ないとは思わないけど、盛大にする必要があるのかな?
ぜひ、お墓って必要なのかな?
葬儀をして、お坊さんにお経を読んでもらって
お釈迦様のお弟子になる為に法名なり戒名なりをもらってお布施を払って
皆で食事をしなくちゃ浮かばれないとは思えない。
何かの宗派に則って、そのしきたりに従って事を進めなければ、お浄土なり天国に行けないとは思えない。
心に宗教を持って、生きている時にその教えを支えや生きがい(ほどほどに健全的にね)、心を整える材料にして日々を過ごす事は必要だろうし
それぞれの教えには生きていく上で助けれらる事も、なるほど!って思うことも、戒めになるお言葉もたくさんあって宗教を信じて生きる事には意味があると思うけど...
死んだあとにこれをしなければあの世に行けないとか、それだけに特化してしまっている今の日本のコレってなんなんだろう?
おひとりさまの心配事の中に意外に、死んだあとのお葬式はどうしよう?お墓はだれが参ってくれるんだろう?と心配している人がまだ相当数いる。
逆におひとりさまじゃなくても、先進的に考えている人もたくさんいる。
じゃあ、わたしはどうしたいのか考えてみよう。
おひとりさまの終活はかなり自由な発想が出来る事に気づいたお盆
まず、『お葬式』してもらいたいですか?
あなたが、とても交遊関係が広くて友人知人愛人恋人、お仕事関係の方々がたくさんいて葬儀をしなけりゃおさまりがつかないっていうのなら葬儀というより告別式(お別れ会)が必要かもしれません。
でも、そのおさまりがつかないのも後に迷惑がかかるであったり、最後のお別れくらいしたかったという皆様の想いからであってって話で。
わたしはいらない。そして、後に迷惑をかけるほどの人脈も人徳もなく、お別れできなかったと悔やむ人もいない...はず^^; もしかして一人くらいはいるかもしれないけど、それも一時の事。
できるだけ、ひっそりと現世からいなくなりたいと思う。
いなくなった事に気づかれないように。
いなくたって変わらず世の中の日常は進み、地球はまわる。
密やかに荼毘に付されて乾いた骨になって、そして出来る事なら海に撒かれたい。
海なし県に住む海への強い憧れと、生命の源だな~!やっぱ海って!って思うから。
そして、子供たちが海に行ったついでに思い出してもらえれば、それでいいって思ってる。
ただ、海に撒いてもらう手間は誰かにお願いしなきゃならないのが心苦しい所。
これには、骨を粉にして、それなりの準備や手続きを踏まなきゃだから散骨は意外に手間がかかります。
もしろん撒いちゃうんだからお墓もいらないし、位牌も仏壇もいらない。
なんなら遺影写真だっていらない。
離婚してしがらみから解放されて、せっかく軽やかなったのに、なぜまた土地や物に縛られなきゃいけない??と思ってしまう。
ただ、ここが難しいところで。
ここの意思表示をしっかりとしておかないと、死んでからではいくらこうしてほしいと強く望んでも誰も相手にしてくれない。
そして、意に沿わない方法で葬られる事になる。
だから普段から、これはわたしの本気だということを生きているうちに言いふらしておかなければならない。
終活の一つの『エンディングノート』や遺言書に記すだけではダメなこともあるのです。
それは、なぜか...?
おひとりさまの不安を人生のゴールから逆算で埋めていこうと思う
度々、仕事柄と申しておりますが、いくつもの葬儀に立ち会わせて頂いていると
ごくまれにエンディングノートを書いていた故人がいたとしても、そして故人によって『このように』と遺志が書いてあったとしても、周りからの忠告や批判、お坊さんとのしがらみ等からその通りに事が進まず、一般的な葬儀が執り行われてしまうことがあります。
特に、葬儀を取り仕切る喪主がまだ若い場合...世間の『普通は』というマヤカシ事と一般的な常識という強力な圧力に負けてしまうのです。
ましてや公文書として残した遺言書は、死んだその時に開封するのもではなく葬儀なども終わり一段落した所で、それなりの手続きをしてからの開封になるので遺言書に記しても、もう後の祭りってわけです。
だから常々常々周りには、まじないのように言い続けて、更にその遺志を遂行していただくであろう人物が得られるメリットを伝えて洗脳しなければなりません。
変わり者だと言われようとです。
わたしの遺志を遂行していただいた場合のメリットとしては
1.お金がかからない。
・一般的な葬儀をするとなると、寺院のお布施等も入れれば100万円は下らない。別に、お墓も永代供養も結構な金額がかかる。そして、忌明けや周忌ごとの法要等々更に出費は嵩み手間も増える。
2.葬儀告別式をしないことによって参列者等へのお知らせや気遣いがいらない。
・通夜から始まり葬儀告別式、会食・返礼品と決めなければならない事が山積みで気遣いの塊である。
3.お墓や位牌などが必要なく管理等の面倒がない。
・居住地から離れている場所にお墓があり放置状態のお墓が増え問題になっている。今の時代、お墓に縛られている場合ではない。
4.貧乏だが火葬から散骨までの必要経費は貯めてあり、余ったものは全てご自由にお使いください。
・これは、必ず事前に調べておく。そして、なければ早急に貯める方法を編み出す。ちなみに散骨も様々な方法があり、ピンキリで、その方法によっては葬儀程度に高くなってしまうものもあります。ちなみにわたしは、キリで結構。
ぁ 余ったお金はご自由にお使いくださいと言っても遺産相続や財産分与が絡んでくるので、そこは個々の状況によります。
とこんなところでしょうか?
先ほど、エンディングノートに記しても遂行されないといいましたが、エンディングノートに詳細を書いたうえでの洗脳を行ってくださいね。
遂行するやり方や方法が分からなければやりようがありませんから!
そもそも遂行していただく人がいないわぃ!
それが『生粋のおひとりさまやぁ!甘い!!』と言われそうですが、私の場合...私の希望でありますので。
生粋のおひとりさまの場合。本当に身内がいない場合につきましても出来ないというわけではありません。
わたしもこの方法がベストなんじゃないかとたどり着いた答え的記事

おひとりさまのお盆に終活を考え始めてしまった...不安のもって行き場所が見えてきたのまとめ
実家と疎遠といったって、お盆だもんなぁ。お墓参りくらいはいかなきゃなぁ...とぼんやり思いながらの考え事だったので『死んだ後の事』に特化した『エセおひとりさま』妄想になりました。
何度もになりますが、あくまでも私の妄想ですのであしからずです。
普段から日常的にここまで『死』の後の事について考えてる人も少ないだろうなとは思います。
ただ、お盆休みの雰囲気に飲まれつつ、わたしにつられて妄想を進めていくうちに...
もしかしたら
わたしは盛大な花祭壇でたくさん人に来てもらって、お坊さんにも懇ろにお経を読んでもらうお葬式をしたいなぁ...って人もいるかもしれないし
行政で火葬してもらって共同墓地で十分っ!って人もいるかもしれない。
いやいや、わたしエンバーミング(防腐処置)をしてもらってしばらくは火葬しないでもらいたい。(※エンバーミングをしても半年以内には火葬をしなければいけません)って人もいるかもしれない。
えぇ~いっ!なあに言ってんのよ!まだまだ『おひとりさま』脱出あきらめてないわよー!終活の前に婚活よ!婚活ぅ~!!ってな人もいるかもしれません。
これが一番健全かな♪なんて思います^^
では、いろんなパターンの『おひとりさま』の皆様!
良くも悪くも健やかに、お盆をお過ごしくださいませ!です♪
大型連休に敢えて行ってみたおひとりさま日帰り旅行の様子は
熱田神宮ひとり旅 神社って一人に優しい♪でも難関はやっぱり…。